2011年 10月 10日
暮らしの復活を目指して。 |
原発が今後悪化することなく廃炉に向かって進むという仮定での話ですが。
残るにしても二地域居住するにしても移住するにしても3,11以降の見の振り方を考える場合川内村に終の棲家を選んだものとして原発事故の持つ意味から目をそらしてはこれからの自分の人生はありえない。これは誰かが整理してくれる問題ではなく自分で考えねばならない。大きくは共通の結論は出るとおもうが自分の問題として見つめなければ私の幸せはない。つまり原発は危険だから徐々に自然エネルギーに変換していこう、原発に依存しない町つくり等々、の一般論の前に立地圏としてのその基層となるものの整理が必要なのだ。
当事者のフクシマに問われてることは自然災害の津波とは違う、外敵にやられた広島長崎の原爆投下とも違う。
自らが良しとして呼び込んだ原発が県域だけでなく広大な海山を永く汚してしまった加害者の側面をよそに被害者としてのみ声をあげてては後々永く福島は尊敬されないと思ってしまう。原発立地圏の住民として原発交付金により身の丈以上の施設、待遇を受けてた公共事業(交付金)依存の現実に戻ろうというのだろうか。そうでないならどのような暮らしを私たちは帰還に期待するのだろうか.
ハッキリしてるのは以前の冨岡依存願望はありえないということ。
封筒下覧の文言の由縁は孫子に伝える事実。
残るにしても二地域居住するにしても移住するにしても3,11以降の見の振り方を考える場合川内村に終の棲家を選んだものとして原発事故の持つ意味から目をそらしてはこれからの自分の人生はありえない。これは誰かが整理してくれる問題ではなく自分で考えねばならない。大きくは共通の結論は出るとおもうが自分の問題として見つめなければ私の幸せはない。つまり原発は危険だから徐々に自然エネルギーに変換していこう、原発に依存しない町つくり等々、の一般論の前に立地圏としてのその基層となるものの整理が必要なのだ。
当事者のフクシマに問われてることは自然災害の津波とは違う、外敵にやられた広島長崎の原爆投下とも違う。
自らが良しとして呼び込んだ原発が県域だけでなく広大な海山を永く汚してしまった加害者の側面をよそに被害者としてのみ声をあげてては後々永く福島は尊敬されないと思ってしまう。原発立地圏の住民として原発交付金により身の丈以上の施設、待遇を受けてた公共事業(交付金)依存の現実に戻ろうというのだろうか。そうでないならどのような暮らしを私たちは帰還に期待するのだろうか.
ハッキリしてるのは以前の冨岡依存願望はありえないということ。
封筒下覧の文言の由縁は孫子に伝える事実。
by kerokotan
| 2011-10-10 08:07
| 田舎暮らし考