2011年 05月 04日
いよいよこれから恐いことが始まる |
もしも津波地震がなく、原発の事故だけであったらどのような反応があったのだろうかと考えてしまう。
2万人を超える津波犠牲者と家屋の損壊を起こした天災と原発の人災は別けて考えねばなるまい。つまり地震津波と原発を同時にこうむった人々と、その片方だけの人々がいる。
つまりこれは今後どのように自己の人生を立て直してゆくかの道が全く違う意味をもってるということだからである。私は原発だけの被害者であるのでこの不可思議なごちゃ混ぜの東北復興論などあきれて読む気もしない。
以下はあくまでも原発被災者のたわごとである。
言うに心苦しいがあえて言えば天災は命さえあれば乗り越えられる、手を携えて頑張って立ち上がって欲しい。必ず以前よりすばらしい地域が蘇る。これを「信じることができる」これが希望だ。
これに対して人災ほど恐ろしく人の心を蝕むものはないことは公害の例をとるまでもない。原発被災者は今後よほどシッカリしないと精神的崩壊の道を歩ませられる。延々と続く訴訟と放射能の影響、幾多の補償の不平等。政府の決めた補償金で諦めて今までの道を歩み始まる者も、見切り千両と別天地で再出発する者も、決して免れる事はできない現実として味わった原発の影。新聞やTVで時として福島原発がニュースになること30年以上は続く。自分の記憶から忘れ去る事はできない。記憶が恐怖となるのではない、自分がとった行動がそのたびに試されるのある。今ハッキリと原発にノーということが私の救いとなる。原発などなくても生活できるし日本経済もつぶれるわけではない。勇気を持って「ノー」と県も村も言おう。福島、相双地域、そして川内が必ず復興できるという確信は首長のこの宣言から始まる。原発と共存してなどとごまかしてはいけない。原発を受け入れることで国の発展に寄与するなど自分を偽ってはいけない。福島に無関係の東電原発を受け入れるということは「たかりの精神」で生きていくという選択である。タカリと自立は道が異なる。首長の道は厳しい。
2万人を超える津波犠牲者と家屋の損壊を起こした天災と原発の人災は別けて考えねばなるまい。つまり地震津波と原発を同時にこうむった人々と、その片方だけの人々がいる。
つまりこれは今後どのように自己の人生を立て直してゆくかの道が全く違う意味をもってるということだからである。私は原発だけの被害者であるのでこの不可思議なごちゃ混ぜの東北復興論などあきれて読む気もしない。
以下はあくまでも原発被災者のたわごとである。
言うに心苦しいがあえて言えば天災は命さえあれば乗り越えられる、手を携えて頑張って立ち上がって欲しい。必ず以前よりすばらしい地域が蘇る。これを「信じることができる」これが希望だ。
これに対して人災ほど恐ろしく人の心を蝕むものはないことは公害の例をとるまでもない。原発被災者は今後よほどシッカリしないと精神的崩壊の道を歩ませられる。延々と続く訴訟と放射能の影響、幾多の補償の不平等。政府の決めた補償金で諦めて今までの道を歩み始まる者も、見切り千両と別天地で再出発する者も、決して免れる事はできない現実として味わった原発の影。新聞やTVで時として福島原発がニュースになること30年以上は続く。自分の記憶から忘れ去る事はできない。記憶が恐怖となるのではない、自分がとった行動がそのたびに試されるのある。今ハッキリと原発にノーということが私の救いとなる。原発などなくても生活できるし日本経済もつぶれるわけではない。勇気を持って「ノー」と県も村も言おう。福島、相双地域、そして川内が必ず復興できるという確信は首長のこの宣言から始まる。原発と共存してなどとごまかしてはいけない。原発を受け入れることで国の発展に寄与するなど自分を偽ってはいけない。福島に無関係の東電原発を受け入れるということは「たかりの精神」で生きていくという選択である。タカリと自立は道が異なる。首長の道は厳しい。
by kerokotan
| 2011-05-04 17:46
| 田舎暮らし考