2011年 06月 26日
原発後の物語をどう紡いでゆくか。 |
原発事故後の物語の始のはじまり。
川内村村民として受けている被害は
1.原発事故の放射能が川内村にも降下した事実による。
2、さらには冨岡町始め浜通りの壊滅による経済活動停止である。
この二つの事実から一人の住民としてこれから村はどうなるのか自分はどうすればいいかを考えてきた。当事者としての判断だから当然に客観的ではありえず個別の一例でしかないと思うがとりあえず書いてみる。
原発の災害から立ち直るわけだから
① 村は福島原発とどう向き合うかということを避けて通れるわけはない
さらに降った放射能を完全に元どうりにすることはできないのだから、私がここに住み続けるとしたら
② 放射能という現実とどう折り合いをつけられるかということである。
この厳しい2点をハッキリと示せることができるならば世界から認められる誇りある村の復興の道が開けるかもしれない。
①を曖昧にした単なる経済復興は長続きしないし(輸血が止まれば頓死)、②こそ今となっては村のレゾンデートルである(以前に戻ることはありえないのだから)。
甚大な物心両面の犠牲の見返りにその歴史的チャンスを与えられたとも言えるのだからここは全村有史以来の災難に現世のものが渾身の力で希望の道を開くことが求められる。
それは単に1マイクロシーベルトだから安全だとかダメだとかいう話ではなくこの地でどのように立ち向かい生きて死んでゆくかという指標の選択である。このことにおいて村の地勢的立地条件を共有する全ての村民の基礎的利害は一致する。
① 受動的には国や県行政はこの地にどういう役割を担わせようとするのか。地域住民は何を希望として生活を始めるのか。それら周囲の動きのなかで自分の暮らしが成り立たないならどこまでが妥協の範囲か。
②能動的には、この地域が歴史的重大岐路にあると考えた時何が見えて何ができるのか、どのような暮らしの復活がありえるのか、
先ずは東京の電力(豪華な生活)を担うための見返りに与えられたこの地域の豊かさとは実はあまりにも帳尻に合わないものであったことはハッキリ思い知らされたわけだ。これだけ理不尽で甚大な犠牲を払ったのだから復興のあるべき性格をハッキリと示すことは、先祖にも後世からも永く晒される現世の者の厳しい責務である。ここで問われるのは日本のエネルギー政策等ではない。東京用の原発をこの福島では受け持つのかやめてもらうのかである。これまでどおり村の経済を原発に頼っていくのか違う道を目指すのかの分かれ道である。自然豊かな川内村や福島県が東京の豊かさのために犠牲になる理由などサラサラ無い。そして3,11前の原発労働者は1万人家族含めて3万人。しかし今後も廃炉工事や原発被害復活関係の脱原発事業などで充分仕事はある。
川内村には自分たちも使う東北電力の水力発電所がありそれで充分賄える。極小水力発電も充分可能であり、地産地消の自然エネルギーは余りある。
福島県復興ビジョンが脱原発を明言し県もそれを重く受け止めていくという。第一歩が進んだ。水俣病で苦しんだあの水俣市が環境の都市として世界から認められ見事に復活したように福島が原発に頼らないで自然共生の県として、村として生きていく覚悟が示せればその道は険しくとも希望のもてる、世界から尊敬される輝く県、村となれるだろう。
別項に具体的復興施策を記する。
川内村村民として受けている被害は
1.原発事故の放射能が川内村にも降下した事実による。
2、さらには冨岡町始め浜通りの壊滅による経済活動停止である。
この二つの事実から一人の住民としてこれから村はどうなるのか自分はどうすればいいかを考えてきた。当事者としての判断だから当然に客観的ではありえず個別の一例でしかないと思うがとりあえず書いてみる。
原発の災害から立ち直るわけだから
① 村は福島原発とどう向き合うかということを避けて通れるわけはない
さらに降った放射能を完全に元どうりにすることはできないのだから、私がここに住み続けるとしたら
② 放射能という現実とどう折り合いをつけられるかということである。
この厳しい2点をハッキリと示せることができるならば世界から認められる誇りある村の復興の道が開けるかもしれない。
①を曖昧にした単なる経済復興は長続きしないし(輸血が止まれば頓死)、②こそ今となっては村のレゾンデートルである(以前に戻ることはありえないのだから)。
甚大な物心両面の犠牲の見返りにその歴史的チャンスを与えられたとも言えるのだからここは全村有史以来の災難に現世のものが渾身の力で希望の道を開くことが求められる。
それは単に1マイクロシーベルトだから安全だとかダメだとかいう話ではなくこの地でどのように立ち向かい生きて死んでゆくかという指標の選択である。このことにおいて村の地勢的立地条件を共有する全ての村民の基礎的利害は一致する。
① 受動的には国や県行政はこの地にどういう役割を担わせようとするのか。地域住民は何を希望として生活を始めるのか。それら周囲の動きのなかで自分の暮らしが成り立たないならどこまでが妥協の範囲か。
②能動的には、この地域が歴史的重大岐路にあると考えた時何が見えて何ができるのか、どのような暮らしの復活がありえるのか、
先ずは東京の電力(豪華な生活)を担うための見返りに与えられたこの地域の豊かさとは実はあまりにも帳尻に合わないものであったことはハッキリ思い知らされたわけだ。これだけ理不尽で甚大な犠牲を払ったのだから復興のあるべき性格をハッキリと示すことは、先祖にも後世からも永く晒される現世の者の厳しい責務である。ここで問われるのは日本のエネルギー政策等ではない。東京用の原発をこの福島では受け持つのかやめてもらうのかである。これまでどおり村の経済を原発に頼っていくのか違う道を目指すのかの分かれ道である。自然豊かな川内村や福島県が東京の豊かさのために犠牲になる理由などサラサラ無い。そして3,11前の原発労働者は1万人家族含めて3万人。しかし今後も廃炉工事や原発被害復活関係の脱原発事業などで充分仕事はある。
川内村には自分たちも使う東北電力の水力発電所がありそれで充分賄える。極小水力発電も充分可能であり、地産地消の自然エネルギーは余りある。
福島県復興ビジョンが脱原発を明言し県もそれを重く受け止めていくという。第一歩が進んだ。水俣病で苦しんだあの水俣市が環境の都市として世界から認められ見事に復活したように福島が原発に頼らないで自然共生の県として、村として生きていく覚悟が示せればその道は険しくとも希望のもてる、世界から尊敬される輝く県、村となれるだろう。
別項に具体的復興施策を記する。
by kerokotan
| 2011-06-26 08:10
| 田舎暮らし考