2013年 02月 23日
義民よ何処へ |
その土地柄、風土、街並み、風景は最も良い観光ガイドである。表のことは役所や観光協会のパンフレットにきれいな写真として説明されている。しかしそんなものを見てまた人の口を通して伝わるものは表層に過ぎない。何代と続く旧家の暮らしの底に水脈の如く流れて見えない精神はしかし風景として密かに湧水の如く表れているものだ。そこを発見し受け止める心があれば自ずと見えてくるものがある。と一般的にはおもうのですが。具体的には一つの作法として「義民」がどのように現代扱われているかを見るのもその土地柄を理解するのに役立つ。私が依然住んでいたところにも義民の歴史が伝わっていた。秩父義民などはあまりにも有名だが、山間の農村には長い歴史の中で必ず義民が現れざるを得ない厳しい時期があってそこをかいくぐって現在がある。
さて佐渡にも江戸期4度にわたって大きな農民の立ち上がりがあったという。それを崇めて後世のものが忘れることないように佐渡一国義民殿というものを昭和11年ごろ建立したという。案内標識に従っていけば城ヶ平という山の上にそれは立派に建っている。という40年ほど前に書かれた本がある。
写真の頂上に小さく白く雪をかぶった屋根が見える。
建立したころは今ほど生活が豊かであったとは思われないが農民の精神が実現させたのだろう。
この佐渡一国義民殿が今まさに朽ち落ちようとしている。80を迎える翁に聞けばわが身が削がれる思いだという。単に税金を使って守ればよいものものでもないだろう。農民の精神が失われれば形などあっても仕方ないのかもしれない。精神はあっても体がいうことを聞かない。優秀な息子たちは都会に出て出世してしまったがゆえに戻らない。
過疎化は防ぎがたいとしても心はさらに疎らであらくなるものでもない。暮らしの精神が風景を造り風景がまたその精神を育てるとすればよくよく見聞すべきであろう。
さて佐渡にも江戸期4度にわたって大きな農民の立ち上がりがあったという。それを崇めて後世のものが忘れることないように佐渡一国義民殿というものを昭和11年ごろ建立したという。案内標識に従っていけば城ヶ平という山の上にそれは立派に建っている。という40年ほど前に書かれた本がある。
写真の頂上に小さく白く雪をかぶった屋根が見える。
建立したころは今ほど生活が豊かであったとは思われないが農民の精神が実現させたのだろう。
この佐渡一国義民殿が今まさに朽ち落ちようとしている。80を迎える翁に聞けばわが身が削がれる思いだという。単に税金を使って守ればよいものものでもないだろう。農民の精神が失われれば形などあっても仕方ないのかもしれない。精神はあっても体がいうことを聞かない。優秀な息子たちは都会に出て出世してしまったがゆえに戻らない。
過疎化は防ぎがたいとしても心はさらに疎らであらくなるものでもない。暮らしの精神が風景を造り風景がまたその精神を育てるとすればよくよく見聞すべきであろう。
by kerokotan
| 2013-02-23 12:21
| 際、接縁