2015年 11月 11日
炭釜作り |
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by kerokotan
| 2015-11-11 07:50
| 際、接縁
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2015年 11月 07日
竹藪整備エンジンです。 高齢過疎化はいまや世の習い。中山間地の山里においてなお激しい。それをねらって本土ではイノシシ、シカ、サルが1000年の失地を挽回し始めている、あたかも我々の固有の領土だというがごとく。幸いなことに佐渡にはそのような動物がいない。しかし植物もまたあなどれない。筆頭は竹。縁の下まで攻めてくることもそう遠い日ではないぞ。杉ケヤキも竹に負ける。そこで領土防衛のためには止む無く武装し弾薬を用意しなければならない。 そこで登場。戦車のような竹藪整備エンジン。これは敵をせん滅するのではなく美味しいタケノコを供給してもらうための装置でもあります。近隣諸植物とうまく付き合うには高度な知恵などいらない。棲み分けて炭分けて。 #
by kerokotan
| 2015-11-07 20:08
| 際、接縁
2015年 10月 30日
炭は地中の微生物を元気にしひいては動物も元気になる。おそらく山火事は生態系の鎖の一つであったかもしれない。焼き畑農も古人の知恵だ。水も浄化する。暮らしの中から炭が消えつつある。 そのような有用性だけで十分に炭は現代生活に意味があるのだが。 少し休んで考えてみる、スミという命名について。 スミはスムの名詞?。清らかに澄ませることのできるもの。済ませる→一件落着。住む→安心して暮らす。 闇晴れて心の空に澄む月は西の山辺や近くなるらん(西行) 住むと澄との掛詞といった以上の意味をにおわされていることを知らねばならないだろう。 すむは「済む」「澄む」「住む」の3つの漢字で表記されれる。いずれも違った漢字が使われてために、それぞれ違った言葉であると思われやすいのだが、もともとは一つ根の大和言葉「すむ」に還元されるべき語なのである。 「すむ」ことは清らかに安定することであり、「すまない」ことは「清らかに安定しない」ことである。「すみません」という語が対話者への謝罪のことばとなっているのも「すむ」という語が、日本人の価値観と深くつながっているからである。「すみません」というのは発語者の行為が事態を安定した状態に、透明な状態に導かないということを認識し陳謝している表現なのである。(やまとことばの人類学)荒木博之。 #
by kerokotan
| 2015-10-30 09:20
| 際、接縁
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